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2012/01/29 09:22
「文楽」との名が人形浄瑠璃と等価であるかのように用いられてしまうことも多いが、文楽以外の人形浄瑠璃も、どっこい生きており、その一の「淡路人形芝居」観覧の機会を得た(国立劇場小劇場)。起源は西宮の傀儡師によって伝えられたものとのこと。(逆に文楽の始祖・文楽軒は淡路の人で、大坂に小屋を開き、これが後に文楽座となった。)首(かしら)の大きいのが特徴だそうだが、ことさらにそれが目立つほどでもない。太夫、三味線に女性が多く進出しているようだった。 |
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2012/01/28 22:38
―アメリカの政治家たちは、自分たちのキリスト教信仰を強調し過ぎですか? |
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2012/01/27 00:54
新春浅草歌舞伎の楽日を、1部・2部通して(於・浅草公会堂)。亀治郎は今回が最後、とのことで、全体に熱を帯びていた。なぞるだけで精一杯、に見える人もいたが、経ざるを得ぬ過程なのだろう。壱太郎への期待の大きさが、配役から見て取れた。 |
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2012/01/26 00:12
東京都写真美術館での、19世紀後半から20世紀前半ヨオロッパの、主として、貧しい生活風景を撮った写真展。(中国や韓国だけでなく、もちろん日本も、そして)イギリス・フランス・ドイツだってついこの間まで貧しかったんだ、とわからせてもらえる。画面の切り取り方は私のようなシロートと大して変わらないが、実際に生きていた人たちの姿、という事から生ずる、こちらの思いをかき立てる力は、確かにある。不勉強で知らなかったブラッサイという人の「夜のパリ」写真群における光の扱いには、感心した。都会の夜のちょっといかがわしくもあるにぎわいが聞こえてくるようだ。29日まで。 |
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2012/01/25 00:34
デカルト以来の数学の伝統がフランスには生きている。フランスの子供たち全体の程度としては大したことはないのだが、一部のできる人たちが、すごい。そして彼らの多くが、冷徹なデカルト的思考により、金融分析の世界へと進む。ただし、数学的なモデルの方に重きを置き過ぎて、現実の市場経済理解に難のある者もいる。 |
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2012/01/24 16:46
2006年以来、アメリカのあちこちの養蜂家が、すっかり空になってしまった巣箱というぞっとする光景を見てきている。働きバチが大量に巣箱を離れ、遠くでゾンビのような混乱した状態でふらつき回ったあげくに死んでいるのだ。研究者たちは、ウイルスや細菌が原因だろうと考えたが、最近になって、別の犯人の可能性が浮かんできた。ハエである。サンフランシスコ州立大の生物学者が、腹部にハエの卵を産み付けられ、寄生されたハチが、巣から離れ円を描いて飛び回った後に死んでしまうことを見出した。 |
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2012/01/22 23:02
久々に参加の読書サロン。パトリック・モディアノ著、原題「失われた若者たちのカフェで」。複数の視点、自在な時間移動等、興味深い構成の作品。ただし、しばしば前の部分を読み返すことを余儀なくされる。この作業を億劫に思う読者には向いていない小説かも。誰へ向かってなぜ話しているのかがはっきりしていない点、話している時点がルキのみ異なっている点、が私にはやや気になってしまう。 |
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2012/01/20 23:34
と題しての、国立劇場開場45周年記念特別座談会。昭和57年〜平成8年の記録映像を観て、幸四郎、福助、染五郎が語る。こういった場での幸四郎の軽妙さは、やはり一つの長所だ。映像の中では、先代勘三郎による「鮒侍」とのいびりが、さすが、肚に落ちるものであった。また、辰之助が存命で一枚加われば、歌舞伎界の豊かさは、今、ずいぶん違っているだろうな、と思わずにはいられなかった。於・国立劇場大劇場。 |
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2012/01/18 23:51
さして映画好きでもないのに映画ネタが続いてしまい、もっと、色とりどりの文を書ければなあと本当は思ってるんですが、すみません、アラン・レネ監督作品。男女間の思いや若き日の夢がうまく運ばぬのはむしろ普通、といったあたりの題材を扱っているように見えるが、よくわからず、まあ、そういう場合は、わかる・わからないにとらわれるのでなく身をゆだねてしまうのが良いのであろうが、作り手側がふざけて面白がっているだけのように思え、私には楽しめなかった。ジョルジュに選挙権が無い、というのも、事情が解せない。原題:雑草(=狂った草、の意にも取れる)。 |
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2012/01/17 09:33
「運命の子」:「史記」に書かれた「趙氏孤児」の話を、現代の観客にも受け入れられるように改変した映画、とのこと。その過程にやせ細りを起こしてしまわぬようにするのは、至難であろう。私なんぞには、屠岸賈の権勢の推移を描かずほったらかしにしていることが気になってしまうが、これと程嬰の二人主人公は、しっかり演じられている。店で麵を食す場面(ぶら下がっているうどんのようなのを、自分ではずして卓の釜で茹でて、どんぶりに取ってつけ麺風に食べる)にも興味をそそられた。 |
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2012/01/16 23:55
「善き人」:ナチス政権下での一人の文学教授の話。もともと英国の舞台劇だったのを映画化した作品で、引き込まれたんだけれども、やや中途半端との感が残った。 |
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2012/01/14 22:36
新国立劇場・演劇講座「日本の劇」X。 |
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2012/01/13 22:38
特に書については、私などには価値がわからず、文字通り豚に真珠状態だが、少なくとも、日本人の心をすっきりさせる文字と、中国人にとってのそれとは、どうも違うらしい、ということは理解できた。中国人は大ざっぱ、との先入観も、「康煕帝南巡図巻」等により砕かれる。ただし人出が多過ぎて、望ましい鑑賞環境だとはとても言えない。うわさの「清明上河図」(24日までの展示)を前列で見たい人は別の列に並ばなければならぬのだが、予想待ち時間が何と200分。これだけの時間があれば、飛んで北京まで行けてしまいそう・・・ということで、私は列に加わらなかった。ばばーっと雑に急いで見て回ったつもりだが、それでも3時間近くかかってしまう展覧会です。 |
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2012/01/12 10:39
たとえば美人画の中にも、動きの一瞬をとらえて動きを感じさせるものがあり(昨日のブリューゲルよりずっと躍動的)、そこにこそこの絵師の才能の特徴があるのであって、よく取り上げられる奇抜なアイディアはその一応用なのだと思った。 |
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2012/01/11 08:28
という邦題にまんまと惹かれて観に行ってしまったが、期待はずれの映画であった。原題「風車と十字架」。ブリューゲルはいろいろオモロイ絵を描いてるのに、「十字架を担うキリスト」1枚のみを扱い、しかもこの絵がキリストの受難をブリューゲルの時代・場所へ移し換えるというかなりの無理をしたもので、そこに描かれている人たちについてさらに物語を紡ぎ出そうとしても、貧弱なものにしかなり得なかった、ということなのだろう。 |
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2012/01/10 14:15
2012年12月21日に世界は終わるとマヤ暦が予言している、と言う人がいる。その時に備えての選択肢。(あくまで座興です。あるいは、それ以下です。) |
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2012/01/07 09:37
1957年、川島雄三監督作品。フランキー堺の身のこなしが超絶。南田洋子と左幸子のケンカの場面も、今日ではなかなか見る機会のないものだ。我々は、経済的な貧しさから脱して長く経つ内に、生きる活力をすっかり失ってしまった、と再確認させられる。 |
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2012/01/05 19:14
12月15日の記事でも触れた映画。多方面への目配りを利かせることにより、クサくなってしまうことを避け得た上々の仕上がりであった。本作のように、押しつけがましくなければ、自然に観客は自身で考えるものだ。戦争突入・泥沼化の大きな原因は、私の考えでは、衆愚政をはねのける意志も仕組みも日本に欠如していたことで、今日もこれは、民主主義崇拝一辺倒の下、克服できていない。 |
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2012/01/02 22:47
ロシアでは1998年から2010年の間に1人当たりGDPが倍増したため、プーチンは人気を保ち、が他方、新しい中流階級が生じて彼らは多くを期待する。もちろんロシア国家は依然として強力で、石油、ガス、ダイヤモンド、ニッケル、銅、アルミニウムといった豊富な天然資源を自由にできることにより、人々を抑圧したり手なづけたりし得る。ただし、石油価格が下落すれば、財産を大きく失うこととなる。 |
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2011/12/31 12:10
第564回紀伊國屋寄席。遊一「元犬」、志ん弥「かつぎや」、小さん「大工調べ」と続き、仲入り後、私には初めての小円歌による女性三味線漫談プラス踊り、そしてトリがさん喬の「福禄寿」。年末の紀伊國屋寄席のトリは、ずっと、師匠の先代・小さん(当代の父)が務めていたそうだ。この弟子の芸風は、端正かつ緻密で、噺の世界を現出させる腕前が、今回も図抜けていた。観客に満足感を与えてくれるというのは、すごいことだ。 |
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