一谷嫩軍記

国立劇場小劇場での文楽公演(15日まで)。陣門、須磨浦、組討、熊谷桜、熊谷陣屋の各段を上演。直実がはじめから我が子・小次郎を敦盛の身替りにしようとしていたことを最後には明らかとする構成。幕切れ、(人間の演ずる歌舞伎でなくとも、ちゃんと)無常観を漂わせ得ていた。

中華の成立 唐代まで

岩波新書、シリーズ「中国の歴史」(全5巻)の第1巻。新書なんだから頁数が限られており、読み手はたいていシロート、ということを配慮せず、行政制度の細かな説明に紙数を割き過ぎ。大きな流れを印象付けられるようにとの書きぶりが工夫されているとは思えず、著者の独りよがりに読者がつき合わされる感じで、好企画の始まりとして、うまくなかった。
この後、隔月で刊行されていく予定。

第五十八回 大手町落語会

鯉昇「鰻屋」:毎度ながら、自在・奔放にして緻密な語り。
さん喬「福禄寿」:人物紹介の導入部にやや乱れがあったものの、しっとりと。
(仲入り)
三三「磯の鮑」:堅固な、そして独自の笑わせ方をまじえる噺に仕立て上げた。
権太楼「文七元結」:いつもに比べて顔芸を控えていたのが良かった。 
於・日経ホール。

保名/川越

十二月大歌舞伎昼の部、Bプロのみでの演目となる「保名」を幕見で。先月、文楽の映像を観た「芦屋道満大内鑑」の一部を舞踊化したもの。短かったが、玉三郎丈の表情まで、双眼鏡で見届けた。踊りを見る目が無いのは致し方ないとしても、詞章聴き取り能力が伸びないのは悲しい。
歌舞伎座、26日まで(Bプロは25日まで)。

その後、所用あって、川越を初めて訪れ、ついでに観光。独自の雰囲気をもつ街であった。中院、喜多院(↓五百羅漢)DSCN2659.JPGを巡り、川越まつり会館で山車を見てからDSCN2660.JPG小川菊(オガキク)で鰻とお酒をいただき、カフェでさつまいもプリンとコーヒー。
https://youtu.be/G1ErgU0ygBM
時の鐘が6時を打つのを聞いた。人が上って行って打つわけではなかった。

私たちは何も知らない/マノン

二兎社公演「私たちは何も知らない」。平塚らいてう中心に”青鞜”編集部の様子(←これについて、私たち、少なくとも私は、実際、何も知らなかった。知っていなくちゃならぬわけでもないけど。)を芝居にうまくまとめ上げた永井愛の新作。市川房江のような闘士像を勝手にもってしまっていたらいてうを、実際はどうだったのかはわからぬが、清楚な女性として描き成立させ得るのを知れたのが、私には面白かった。
22日まで、東京芸術劇場シアターウエスト。

METライブビューイングの一「マノン」。先日の「椿姫」の原作小説では、これの原作本”マノン・レスコー”をマルグリット(=オペラのヴィオレッタ)が(男から贈られて)持っていたことになっている。2幕でのマノンの裏切りはカネに転んだものであったことをもっとはっきり打ち出した方が、その後の筋もよく通るのでは、と感じた。
https://youtu.be/sZdNok-A3qc

メモリアル

文学座アトリエの会。貧弱な頭には気の利いたものに感じられるのかも知れぬなあ、と思わせる台詞の羅列で、時間・カネ・エネルギーを無駄にさせられた。こういう代物をワケわからぬままありがたがって喜ぶ人たちが一定数いるというのは、自身の努力・能力不足を棚上げして不平を言い募り進歩派を気取る人たちが一定数いる、というのと似た話だ。15日まで。

椿姫/兼好

新国立劇場オペラパレスでの「椿姫」。全幕通して暗めの照明。アルフレード役が、体形のせいもあり老けて見え、父・ジェルモンが若い。パトロンの男爵にも貫禄・金持ちらしさがほしい。鏡(はっきり映り過ぎ)やピアノ(人が乗るのはどうも)は効果を発揮しなかった。歌い慣れているせいか、プロンプターボックス無し。5・7日にも上演。
今回のではありませんが→ https://youtu.be/YuS3BMo9lsY

日本橋社会教育会館での三遊亭兼好独演会「人形町噺し問屋 その89<夜席>」。満席。今回も客席を大いに沸かせた。
「宗論」:サゲの”信州・松本”は、キリスト教の盛んな地、ということなのだろうか、よくわからなかった。
「富久」:神棚に上げるところや、帳面を付けるところをたっぷり。
ゲストの曲独楽・三増れ紋が達者なしゃべり。

AIには何ができないか

作品社・刊。原題「人工無能」。記述が冗長。包括的に、との考えがあるのかも知れぬが、思い付いた事をすべての枝葉にわたって書こうとするのでなく、主張をすっきり表現するよう意を払うべき。内容は、要するに、人工知能(や機械学習)といっても、人間の造った機械(やその命令通りの動作)であることは免れず、当の造った人間たちも結構イカレてる類が多く、中立性や倫理性は保証されていない、といったところか。細かくなるけど、ふつう”n乗根”と呼ばれているものを、英語の字面通り”n番目のルート”などと訳すのは良くない。(わかってないまま訳してるのかと不安になってしまう。)

放浪記/扇辰日和

昭和37年映画「放浪記」。舞台のとは、重なっている部分もあるが、当然の事ながら趣を異にする。高峰秀子がいろんな表情を見せてくれる。林芙美子の男運の悪さは、’運’というより’病’であるかのよう。監督、成瀬巳喜男。
https://youtu.be/ZzFF5X1THcs

なかの芸能小劇場での「扇辰日和 vol.73『入門三十周年記念同期会』」。「雪とん」と「二番煎じ」をたっぷり、丁寧に。ゲストの同期、喬太郎は(マクラで’ポテトチップスそば’や’とろろかけごはん入りカレーうどん’に触れてからの)「時そば」、(どーでもえーけどウチの結構近くに住んでるらしい)彦いちは「遥かなるたぬきうどん」。

感謝祭について子供たちに教える、より良い方法(TIME12月2・9日号より)/オマケ

もし米国の小学校でサンクスギヴィング・デイ(感謝祭)について習ったなら、この祝日が始まったのは、メイフラワー号から下りて間もないマサチューセッツ州プリマスのピルグリムが、仲良くなった近隣のインディアンと持ち寄り形式で食事会を開いて収穫を祝ったことから、とおそらく教わっただろう。
だが、この話は、1621年の実際の食事から考えられたものではあるが、17世紀の真実も21世紀の知見も反映していない。サンクスギヴィングに関するアメリカ人の一般的な思いは19世紀からのもので、それは時折、面倒を引き起こすようだ。たとえば、ミシシッピのある小学校は、羽の頭飾りと買い物袋でできた胴着でアメリカ先住民のように扮した子供たちの写真を11月15日、ツイッターに載せたら、批判を浴びた。
かような像は米国の教育に深く根を下ろしており、その元は、エイブラハム・リンカーンが1863年にサンクスギヴィングの日を布告した数十年後に遡る。分離派清教徒は「ピルグリム」として再認知されており、屋外祝宴としての彼らのサンクスギヴィングを描いた1889年の小説がベストセラーになった。その話のイメージを、盛んになってきた広告産業が人々の間、特に教室に広めた。初期西洋人たちの中でのアメリカ先住民の描写をある程度活用し、教師たちは感傷的な話を印象付ける物語を発展させた。1920年代までに、サンクスギヴィングは、アメリカの教室で最も話題に上る祝日となった。植民者たちが悪く見える部分は取り除かれた。
これは、たまたま時が合った出来事ではなかった。20世紀に入ろうとする頃の移民の波と都市化現象が、移民を排斥して昔は良かったとする気運を盛り上げた。1887年のある戯画は、当時の大勢の人たちと、メイフラワー号から堂々と下りてくる高貴なピルグリムとを並べて比較する。1940・50年代、冷戦が外敵への不安の波をまた起こした時、ピルグリムを描くことが再び激増した。
いくつかの学校では、サンクスギヴィングが、アメリカ先住民について語られる唯一の時になっており、生徒たちはしばしば、誤った、そして有害な印象をもったままにされてしまっている。「インディアンは消えたと広く思い込まれている」と歴史家デイヴィッド・スィルヴァーマンは言う。「だから、子供たちにインディアンの衣装を着せて喜んでいられるんだ」。
多くの教室は変わり始めている。教育者と親たちはネット上で意見・知識を交換している。ラリッサ・ファストホースによる”サンクスギヴィング・プレイ”(https://www.youtube.com/watch?v=ec8BgGXQCBE )は、アメリカで最もよく上演される芝居の一つとなっている。ロクサンヌ・ダンバーオルティスによる”米国先住民の歴史”(https://www.youtube.com/watch?v=eDHilbmRJVo)は、若者向け版を7月に発行した。
さらに、過日のワシントンDCサタデイモーニングによると、20人余りの教師たちがサンクスギヴィングの話を教える、より良い方法を学ぶため、国立アメリカインディアン博物館へ行った。が、最初に彼らがしなければならなかったのは、〇✕テストを含め、自身が勉強することだった。私たちの多くがピルグリムとして知っている人々は、自分たちのことを分離派と称していましたか? 例の有名な食事会は三日間続きましたか? 答えはどちらも〇。彼らはそろって叫び声を上げた。
しかし、他の問いでは、みんなの前で間違った事を言うのに躊躇し、教師たちは長く黙ったり、小声でもごもご言ったりした。博物館の教師迎え入れ責任者でオクラホマの東ショーニー族の一人であるレネ・ゴーキーは、辛抱強く答えを待った。初期のサンクスギヴィングは、1637年のピーコット村焼き払いやワンパノアグ族族長マサソイトの息子殺害を祝うものであったことをゴーキーが説明すると、参加者たちの息をのむのが聞こえた。
「これまでを振り返ります。そしてたくさんの誤った事を教えていたのがわかります」と、ヴァージニア州アレクサンドリアで小学2年生を教えているトニア・パーカーはTIME誌に語った。
このワークショップ参加者のような教師たちは、変化が起きつつあるのを知り、社会科学習は、複数の視点から歴史を見るよう、生徒たちにどんどん促している、と述べる。加えて、(’感謝’祭なのに)感謝について教えるのがないがしろにされてきた。ワシントンの博物館でのワークショップで、参加者たちは新しい何かを得、”ワド”と言うようになった。チェロキー族の言葉で”ありがとう”だ。[この最終部にはちょっと鼻白みますがね]

無関係動画→ https://youtu.be/IE8ICmbKBo4

くるみ割り人形/魁夷の青・元宋の赤

昨年、オーチャードホールでのKカンパニー公演を収録した「くるみ割り人形 in Cinema」。上映初回の特典として、オリジナルクリアファイル(A4)、もろた。というか、ええ歳して、それをもらいたくてこの回に行ったのであるが。そんな事はともかく、大いに愉しめた。遠隔操作のネズミが出て来たり、大砲の弾や投石器の石が実際に発射されたり、雪がいっぱい降ったり、アラビア人形の場面では器から煙がずっと出てたり。すんません、踊りを見る目が無くて。https://youtu.be/UIKVUC95hcg

山種美術館での「東山魁夷の青・奥田元宋の赤 ―色で読み解く日本画―」。色という切り口で分類した珍しい展覧会。画家自身の言葉が紹介されていたり、日本画での絵の具についての解説があったりで、これまた愉しめた。たぶん初めて見たのだと思うが、宮廻(ミヤサカ)正明の「水花火(螺)」には驚かされた。12月22日まで。http://www.yamatane-museum.jp/exh/2019/kaii-genso.html

月刊少年ワサビ 第128回

らくごカフェでの柳家わさび独演会。
「藪医者」:ネタおろし。あっけない噺であった。
「祝辞指南」:おめでとう!、留守番、裏取引き、の三題噺を創作。
「味噌蔵」:しっかり語りおおせていた。

二丁目の夜はふけて

と題する道楽亭での林家きく麿独演会、第25夜。(客の選んだ)「ロボット長短」、「半ソボン」、仲入り、「殴ったあと」(浪曲もこなした)。よく作れるものだ。話の糸口の見つけ方、そしてその後の展開に独特の才能をもつ。

日経夕刊”あすへの話題”で幸田真音氏が、財政も社会保障制度も、先送りされている問題が山とあるのに、(野党)政治家もメディアも「サクラ問題」にうつつを抜かして騒いでる、との旨。同感だ。重要度の順位判断は大切。

鏑木清方/竹工芸/落語研究会

東京国立近代美術館での「鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開」。切手(’71年趣味週間←私も持ってます)でもよく知られた作品だが、”幻”となってるのは、長く所在不明だったから。展示されている距離ではわかりにくいけど、実は非常に細かく描かれていることを教えてくれるヴィデオも。12月15日まで。「所蔵作品展」も見られます。https://www.momat.go.jp/am/exhibition/kiyokata2019/

同工芸館(来夏、金沢へ移転)での「竹工芸名品展:ニューヨークのアビー・コレクション ―メトロポリタン美術館所蔵」。すごい技術だ。竹という素材の有する性質にも改めて感心させられる。竹取翁やエディソンのフィラメントのことも思い起こされた。12月8日まで。https://youtu.be/idAnUIT0uXo

そこから歩いて、国立劇場小劇場での「第617回 落語研究会」。
小辰「一目上がり」:八五郎が、ただ知ったかぶりをしていて、それを喜んでいない。
龍玉「駒長」:これも、長兵衛のふるまいの動機が説得力不足。
市馬「掛取り」:芝居のところでは、三味線だけでなく、太鼓、笛、銅鑼も加わった。
(仲入り)
夢丸「将棋の殿様」:騒々しくなくやってほしい。
雲助「火事息子」:安心して聴けるのは、人物造形がきっちりしているからだろう。

柳家小三治、語る

10月3日、有楽町朝日ホールでの「柳家小三治の会」終演後の囲み取材レポート(”東京かわら版 12月号”所収)から、2か所引用:
・元々持っているものがね、大したことないんですよ。前はそういう事言うのはとても自分で「恥ずかしい」とか「何気取っているんだ」とか思ったけど、今はそういうこともないみたいですね。
・なんかおどけてみたり、そういうことじゃなくて、真っ当な事をやって、淡々と進んでいて実はとっても幸せな気分に自分もなれて、お客さんもそういう世界になれたならば、お互いに嬉しいな。

国と国の間で(TIME11月25日号より)/オマケ

現代の中東は、ちょうど100年前、第1次世界大戦後、勝者たちが新しい国々を創り始めた時に形成された。独立国家の地位を与えられて然るべきと考えられていた住民たちの中に、アルメニア人、アゼルバイジャン人と並び、クルド人がいた。クルド人は、メソポタミアがアナトリアとなる山地・高原に何世紀にもわたって住み、自身の言語・文化・独自性を有し、自分たちの国家をもつ条件を満たしていた。なのに彼らは、糸のこぎりで切られたつづれ織りのような、他の5ヶ国国境付近地帯に押し込められた。
最も多くのクルド人が住むのはトルコで、その軍に攻撃されたシリアのクルド人にイラクのクルド人が避難所を与えている。(イランとアルメニアのクルド人は、現今の争いには巻き込まれていないが、およそ2400万人の近隣クルド人やヨーロッパに住む150万人を結ぶクルド衛星放送は見ている。)
10月6日、トランプ大統領はトルコ大統領と電話で話し、その後突然、シリアのクルド人を守っていた米軍の撤収を命令した。このクルド人たちは、イスラミック・ステイト=ISとの戦いにおいて主要な同盟相手であったにもかかわらず。続いてトルコ軍はシリアにあったクルド人の町を攻撃し始め、前進を続けた。非正規兵は道路脇の溝に潜む人々を殺しもした。その進軍から、おそらく16万人のクルド市民が逃げ、そのほとんどはシリアのより奥地へと行った。これまでに1万5千人ほどのクルド人が、東のイラクへと向かった。
そこでたどり着いたのは、2012年内戦が始まった時に逃げて来たシリアのクルド人がすでに入っていた、人里離れた地の難民キャンプだった。シリアでの戦いが終わったと考えるなら、2つの集団は、その終結時に起こった話、となろう。 ところがそうはいかず、アメリカの撤退により、たいへん入り組んだ新しい様相が示され始めた。米国が去った後の空白にすぐさま外国勢力のロシアとトルコが入り込んで道路の監視にあたり、そこには、残っている米軍や時にはシリア政府までもが加わっている。
クルド人たちの間でも、それに劣らず状況は複雑だ。イラクとの国境に着いたシリアクルド人が、暗くなった後、彼らをシリア内にとどめておきたいシリアクルド兵士の注意をひくことなく、イラククルド人の見張りに近付き、暗闇から彼らを迎え入れる。一晩で250人もが到着する。登録(彼らの名前はクルドの警備当局保有の名簿と突き合わされる)の後、毛布が与えられる。朝、バスに乗って、ほとんど絶えることが無いと思われる戦いの跡が点々とする光景の中、60か70㎞、キャンプの方へ向かう。1980年代、サダム・フセイン軍によって6万人以上殺されたクルド人の内、墓のあるのはほんの一部。壊れたコンクリートは、ISとの戦闘で破壊された家々の残骸だ。イラクとシリア両方のクルド人が、IS相手に戦って、死んだ。
アメリカの空中援護を得て、イラクのクルド兵は踏ん張り、2014年と2016年、シリア内の武装狂信過激派掃討へと進んだ。シリアではクルド兵たちがアメリカ同盟軍の中核をなし、IS兵士募集の司令塔たるカリフ(=バグダディ)打倒のため、自分たちのいた地域から遠く離れて突き進んだ。シリアでのクルド人戦死者は合計1万1千に上ると見積もられている。
この犠牲を裏切るトランプのふるまいは、1923年、クルディスタンという名の国を与えるとの条約がそれを取り消すとの条約によりひっくり返されて以来、クルド人たちが口にしてきた大国による裏切り物語にぴったり重なる。「クルド人たちには山より他に友達は無い」と言い習わされている。それでも彼らは求め続ける。イラクでは、ISからクルド人が戦い取り、自分たちのだと主張していた領地が、2017年、イラク政府によりそのほとんどを奪い去られてしまった。
シリアでは、トランプの裏切りにもかかわらず、クルド当局者たちがIS指導者アブ・バクル・アル・バクダディを秘密裏に捜査し続け、彼の殺害(自爆)に決定的な役割を演じた。クルド人は、自分たちの追い出された地域においても、ロシア兵や残留アメリカ兵と共に、警護を続けている。すべてを失ってしまわぬようにと。

無関係動画→ https://youtu.be/uR9dhu13C4w

やきもの入門 /アナと雪の女王2

出光美術館での「やきもの入門 ―色彩・文様・造形をたのしむ」初日。”入門”と謳っているだけあって、私らシロート向けの解説が親切になされているのはうれしい。
明年2月2日まで。http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/present/

ディズニー映画「アナと雪の女王2」。続篇を作るというのはむつかしい。退屈させぬ映像が続くが、無理してひねり上げた筋立てには骨が無かった、という感じだ。
https://youtu.be/bwzLiQZDw2I

浮雲

上映が始まってから、前に観たことある(=本ブログのどこかに書いてるかも知れない)と気付いた。私がボケてるせいでもあるが、作品が強い印象を残さなかったせいでもあり、今回も、私に鑑賞眼の無いせいかも知れませんが、傑作だとは思えなかった成瀬巳喜男監督映画。

女性肺ガンの謎(TIME11月18日号より)/オマケ

ジーナ・ホレンベックは、体に悪い事は何一つしなかった、と言う。2児の母であるテネシーの看護婦は、生涯を通して、タバコを吸ったことが無い。口にするのは有機食物。ハーフマラソンを走り、テニスの試合にも出ていた。だが2015年、しつこい咳が出て、急激に体重が落ちた。かかりつけ医をもっていなかったので、何人かの専門医に診てもらったが、数か月間、原因がわからなかった。最後に彼女は自費で胸部X線写真を撮り、それを救急処置室へ持って行ったら呼吸器内科医を紹介され、進行した肺ガンと診断された。[←この過程は、日本人にはまだるっこく見える]
「タチの悪い冗談かと思ったわ」とホレンベックは言う。42歳で、未だ寛解していない。「誰もが、あんたは肺ガンになりっこない、と言ってたんですもの。」[←無責任と無知の集積] ホレンベックは、他の面では大きな成功を収めている米国医療界に、心配な但し書きを突き付ける。この数十年間に、肺ガン全体の罹患率は大きく下がった。しかし、男性より一般に喫煙率が低く、そのため肺ガンでの死亡数も少なかった女性において、肺ガンと診断される人の率が、今日、不釣り合いに高くなっている。
アメリカでは、肺ガンは、ガンの中で死亡率が高いものだが、医学の進歩と喫煙率の歴史的低下によって、過去数十年、死者数は減ってきている。しかしながら、その恩恵は、等しく分かち合われてはいない。以前は男性患者の多かった病が、今では、女性を冒すようになっている。2018年の調査によると、この20年、1950・60年頃に生まれた女性での肺ガン発生率は実のところ上昇しており、それより若い女性では減っているが、その減り方は男性ほどではない、とのことだ。
調査に携わったアーメディン・ジェマル博士は、喫煙習慣では肺ガン患者数を説明できぬのが戸惑わせるところだ、と述べる。彼の言うに、一時的変動を除けば、アメリカでは現在に至るまで一貫して男性の喫煙率の方が女性のより高い。連邦のデイタによると、2017年では、成人男性の16%が喫煙し、女性は12%。さらに、全肺ガン患者の約15%が非喫煙者なのだが、女性の肺ガン患者でのホレンペックのような非喫煙者は24%。これは、他の要因が、このまずい状況に寄与していることを意味する。遺伝子とガンの研究者であるアリス・バーガーは、「今のところ、全くわかってない」と言う。
科学者たちはいくつかの手がかりに狙いを定め始めている。非喫煙者に最もよく見られる型の肺ガンは女性の方に多く、非喫煙者にしばしば見られる遺伝子変異は若い女性に起こりやすいことが研究によって明らかになっている。(その変異が、新しい特定ガン治療によく反応するのは明るい兆し、とバーガー。)女性ホルモンのゆらぎか女性の免疫機構が関係しているのかも知れない、とバーガーは語る。だが、研究は進行途上で、それらの考えは仮説にとどまっている。
別の仮説は、喫煙女性にタバコがいかに影響するかについて焦点を当てる。タバコに含まれる発ガン性物質により起こされる遺伝子変異の影響を女性の体の方が男性のより受けやすいのかも知れない、とジェマルは言う。もしそうなら、喫煙習慣のある女性の方が喫煙男性より高い率でガンにかかることとなる。だがこれもさらなる研究を要する説にとどまっている。
女性たちの直面する危険に確固たる答えが得られぬ中、医師、患者、支援者たちは、女性や非喫煙者の肺ガンに関して訴えを広めている。ホレンベックが創設を手伝ったフェイスブック上の支援団体にはおよそ1400人が加わっており、彼女は、女性と肺ガンに関する研究をさらに推し進める連邦法案を通そうと骨折っている。「私たちの社会は、肺ガンは喫煙による病だと信じ込んでしまっている」と彼女は言う。ホレンベックのような若い女性たちにとって、それはどんどん誤った考えとなっている。彼女は、自身に起こった事によって、女性たちが、肺ガンは喫煙・非喫煙の別無く発生する、そして、助けを求める声を上げるのを躊躇するべきでない、と学んでほしいと望む。「何かおかしい、と感じたら、その直感に従ってね」と彼女は言う。

無関係動画→ https://youtu.be/JfpSRxHPFyU

エミュー

カレー屋でタダでもろた上野のれん会の冊子「うえの 11月号」に載っている中国文学者・中野美代子氏の文によると、氏が幼稚園児の頃に読んだ本に、上野動物園園長だった故・古賀忠道氏が「これまで食べた鳥獣の肉で、もっともおいしかったのは、エミューである」と書いておられたとのこと。中野氏は後に(エミューの故郷)オーストラリアで仕事をすることになって、ぜひこれを食すべしと自らに課したのだが、すでに保護鳥になっていて、それどころではなかったそうだ。古賀氏は、私が子供の頃、毎日放送のTV番組「野生の王国」の解説をしておられ、冒頭でいつも故・八木治郎アナウンサーが”古賀先生、よろしく”と言い、それを私がモノマネしたら、なぜか母が怒った。https://youtu.be/ZlJID_RJRe4