天神さまのほそみち

本質的ではないところでの食い違いにより争いが激化していき、思わぬ方向へと進むさまを描く別役実作品。'79年、文学座アトリエでの初演をこの人も観てるのでは、と思わせるような年恰好の客が結構多かった。一応サマになるようまとめ上げられた舞台だったが、出演者たちの多くに実在感が無い。
19日まで、ザ・スズナリ。

’カレン’と白人女性の暴力(TIME7月20・27日号より)(上)/オマケ

インスタグラムでハッシュタグ#Karenを検索すると77万3千以上の投稿数があり、載せられている画像は、カメラを見つめ、指先であごを撫でながら口元に笑みを浮かべ、相手を見下した鼻持ちならない態度を示す白人女性のスクリーンショット。彼女の名前はリサ・アレクサンダー。だが、ネット上では"San Francisco Karen"として知られる。
6月に拡散した動画(https://youtu.be/E5r4-FJiuZw)内で、アレクサンダーはジェイムズ・ファニーヨと向かい合う。彼は自分の家の正面にBLACK LIVES MATTER(黒人の命は大切だ)とチョークで記し、それが私的所有権を侵しているかと尋ねている。ソウシャルメディア上で自己を非白人と明かしているファニーヨは、彼女とその夫に、もし法律違反があるなら警察に言うよう告げている。彼が後にABC7 Newsに語ったところによると、夫妻は実際警察に連絡したが、警察は彼が住人だとすぐに分かったとのこと。
アレクサンダーと夫の身元がネット上で判明すると、彼女のスキンケア業はボイコットされ、夫は解雇された。アレクサンダーと夫は二人共謝罪声明を発表した。彼女は自分のふるまいを悔いて言う。「ヴィデオを見て私はショックを受け、あんな風にふるまってしまったことを悲しく思っています。ファニーヨ氏への非礼を深くお詫びします。」
アレクサンダーは、その行ないにより、どんどん増えつつある"Karens"の一人となった。これは特定の白人中年女性を指すネット上の略称で、このところ、悪評の新段階へと達している。ウェブ事典Know Your Meme副編集長アダム・ダウナーによると、"Karen"ミーム【ネット上で拡散・伝播する考え方】は、髪の切られ方が気に入らなくて責任者を呼ぶような白人女性をふざけて指すものとして、遅くも2017年以来ウェブサイトRedditに存在していたが、最近新たな意味を帯びている。乱暴・迷惑の度を増す行状があふれ、"Karens"は今や、恥知らずな権利主張・特権意識・人種偏見の発露、そして、望むものが得られなければ警察を呼ぶという彼女らの性癖をネット上で表わす悪名となっている。
「白人女性が抗議して、警官を呼ぶ件が続出して、となればこりゃもう、ちょっと恐ろしいね」とダウナーは言う。
6月だけでも、
・「このあたりから出て行け」と言いながら近所の人の乗っている車を2本のハンマーで傷付けたロスアンジェラスの’カレン’
・NY市のコーヒーショップで、マスクをしてないから店を出るようにと言った人に向かってわざと咳をした’カレン’
・カリフォルニア州トーランスの公園でアジア系アメリカ人に人種差別的言辞を長々と弄したのが録音された、これまでも同様の暴発を見せてきている、人呼んで’ウルトラカレン’
がいた。
おそらく最も目立つのは"Central Park Karen"ことエイミー・クーパー。彼女は5月25日 ―ジョージ・フロイドの殺された日―、公園の、犬はつながなくちゃならない区域で、黒人男性クリスチャン・クーパー(同姓だが無関係)がそうするようにと彼女に求めたところ、警察に電話し、”アフリカ系アメリカ人”が自分を”脅している”と訴えたのだ。彼女は解雇され、しばらくの間犬の保護権を失い、7月6日、マンハッタン地方検事は、虚偽申告の旨で彼女は告発されると述べた。事件後CNNで彼女は「皆様に公に謝罪」したく思っており「人種差別主義者ではない」し「男性を傷付けるつもりは全く無かった」と語った。クリスチャン・クーパーは彼女の謝罪を受け入れたが、動画だけにとらわれるのでなく「底に流れる人種差別と人種偏見」に注目するよう視聴者に迫った。
ジョージア工科大学黒人ディジタル文化准教授アンドレ・ブロックは、このミームはこの時機ならではのものだと言う。「家の中に6週間とどめさせられていて、感じる以外何もする事が無い」疫病の蔓延、そして、警察の非道と組織的人種差別への怒りを指摘する。ネットで’カレン’を見る時、人々は単にその行為のみを見ているのではない。被害に遭ったことを武器とする米国白人女性の厄介な過去を思い起こしているのだ。

無関係動画→ https://youtu.be/KF3tkt83dY8

願いがかなうぐつぐつカクテル/あの木の向こうがわ/五街道雲助独演会

新国立劇場小劇場でのミヒャエル・エンデ作「願いがかなうぐつぐつカクテル」。つまらなかった。この回は見当たらなかったが、休みで来る子供の観客にとっては、忍耐の時間となってしまうだろう。26日まで。

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションでの「繊細な色味と出会う 南桂子展 あの木の向こうがわ」。心洗われた。自身の”きれい”をちゃんともてているのがうらやましい。26日まで。https://youtu.be/ArypuIxDxrY

日本橋劇場での「五街道雲助独演会 ―圓朝 怪談を聴く―」。
「死神」:医者になった一日のみを描く。オチは、死神が吹き消す型。
「豊志賀」:きちんとしっかり語られることにより、客が没入できる。

人間合格/小満んの会

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAでのこまつ座公演「人間合格」。演劇の生舞台がまた観られるようになって、非常にうれしい。芝居は、太宰治についての評伝が断片的・表面的なものにとどまり、井上ひさし自身の左翼びいきを押し出し過ぎ、と私には感じられた。23日まで。

お江戸日本橋亭での”柳家小満んの会 第304回”。
「蕎麦の殿様」:昔からあるパワハラ。
「月宮殿」:東京では聴くのが珍しい噺。
「猫久」:事の発端となった猫久が結局ほったらかしにされる構成。

名画の謎 対決篇

文春文庫の一。中野京子が2作品ずつ取り上げて独自の比較を軽やかに20組。先日触れたエドワード・ホッパーをも取り上げているので、読み始めてみた。(深いものではないにしても)知識を楽しく得る、というひとときを味わえる。

さまよえるオランダ人

METライブビューイングの一。ハイネ作品を基とする。ヴァーグナー自身が船での暴風雨を経験しており、題名は”幽霊船”をも表わす。前半、話に展開が欠け退屈だったけど、終盤は緊張感が高まった。吊るされた多くの縄で表現を工夫。藤村実穂子、日本人の活躍は嬉しいが、やや声量不足と感じられた。
https://youtu.be/qVqODlVcMPA

夏の夜の夢/SOMPO/馬石・扇辰

ナショナル・シアター・ライヴの一「夏の夜の夢」。舞台の周りを立ち見客が囲み、その後ろに座席があって、妖精たちは空中ブランコで飛ぶ。ニコラス・ハイトナー演出は、オーベロンとティターニアの役割を入れ替えた。従来の束縛的図式(オーベロンがティターニアを懲らしめ、彼女をロバ男への恋に陥らせる)からの解放を目指して、とのこと。
https://youtu.be/mjmOP2hVfRg

高層ビルの上の方の階にあった美術館が、ビル脇に新たに造られた建物に移り、名前も”SOMPO美術館”と改めて。「開館記念展 珠玉のコレクション」初日。5~3階、それぞれの小ぢんまりした展示室で、自動ドアの開閉音がやや煩わしいかも。9月4日まで、日時指定入場制。写真を撮れる絵が4枚(ゴーガン・ルノワール・セザンヌ、フラッシュ不可、ピントが合ってなくてごめんなさい)。DSCN3385.JPGDSCN3386.JPGDSCN3387.JPGDSCN3388.JPG
ユーロライブでの”ふたりらくご”。
馬石「浮世床(本・夢)」:”左衛門”の”衛”は、旧仮名遣いでは「へ」でなく「ゑ」、促音の小さい「っ」が使われるようになったのは、ずっと後のことだ。語りも騒々しく、ガッカリさせられた。
扇辰「ねずみ」:客を惹き込む、スキの無い口演であった。

上野 鈴本演芸場

1日にめでたく再開した鈴本演芸場、七月上席九日目。昼の部トリ・扇遊の「試し酒」は、飲む時のノドの鳴らし方が絶妙。可杯(ベクハイ=飲み干すまで下に置けない)に言及するなら、解説が必要であろう。夜の部は、文菊「千早振る」、さん喬「千両みかん」、市馬「粗忽の使者」、喬太郎「饅頭怖い」と顔ぶれを揃え、トリが文蔵「天災」(調子はいま一つと見えた)。昼・夜双方で「金明竹」が口演されたが、遊京に比して権太楼は上方弁アクセントがあまりに不正確。

マーニー

'64年、米映画。
https://youtu.be/bSlvWajeBVc
<試訳>
はじめまして。私はアルフレッド・ヒッチコックです。私の最新映画「マーニー」についてお話ししましょう。この劇場でもうすぐ上映されます。「マーニー」は分類することの難しい映画です。”サイコ”(精神病者)でもありませんし、”鳥”の大群が羽ばたいて手当たり次第に人々を突っついたりもしません。二人の興味深い人物が出てきます。男と女です。セックスミステリーという言葉を使って「マーニー」を表わす人がいるかも知れません。でも、それ以上のものです。この映画についてお伝えする最上の方法は、おそらく、いくつかの場面をお見せすることでしょう。
これはマークです。フィラデルフィア郊外にある一族の邸宅の階段を下りて来ます。彼は思慮深い男で、あまり発散的な方ではありません。ある意味、狩人です。そして彼の狩るのがこちら。マーニーが母の質素な家にいるところです。こんなに異なった二人がどうして出会ったのかと思われるでしょう。マーニーの仕組んだ事でないのは確かです。マーニーは仕事に精を出します。若い女性たちが普通そうであるように。幸せ、幸せ、幸せ。
突然、派手な場面になります。最初、彼は、マーニーをどうすればよいのかわかりませんでした。彼女は興奮しやすい質に思えます。そのせいで、傘を忘れた事に気付いたような奇妙なふるまいをしているみたいです。
マーニー:「あの色、色を止めて!」
マーク:「どの色?」
マーニーの混乱は深まっていきます。そしてこれがマークの調べるべき問題です。でも、まずはこの娘を静かにさせねばなりません。我らがヒーローは、口うつし式蘇生術を適用します。
これは、この映画がセックスばっかりでミステリー無しだとの印象を与えるかも知れません。全然違います。例えば、ここでは、マーニーはある男性と話しています。誰なのか、私にははっきりしません。でも、彼は彼女の過去に関わる人です。彼女が拒絶したがっているような過去。
あらま、またですね。言っときますが、これはあくまで調査のためです。それから、ここに証拠を出しますが、「マーニー」はトーキー映画です。
マーニー:「あなたは私を愛していない。あなたの獲物みたいなもので、罠にかけた動物くらいにしか思ってないんだわ」
マーク:「そうだとも。全くもって荒々しいのをつかまえたもんだね。君を追い、つかまえ、絶対逃がさないぞ」
これくらいで十分でしょう。もっとお聞きになりたいのなら、切符を買わねばなりません。時にはどちらが荒々しい動物か、私にはよくわかりません。私はこれが必要だったとは思いません。場面をよく理解していないんで、コメントを控えるべきでしょう。解説は、皆さんの活き活きした想像力に委ねます。
マークは全ての問題を解決する策をもっているかのようですが、そうじゃありません。マークは複雑で打ち解けない人物です。彼は、親切で思いやり深くもあります。そして困ってもいます。マーニーと呼ばれる女性の謎を解くことができなさそうなので。

レイニーデイ・イン・ニューヨーク/少女は自転車にのって/けんこう一番!

ウディ・アレンの最新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」。物事の進み具合が忙し過ぎるニューヨークは、晴天を望ましとするフツーの感覚からすれば、いわば、雨が降りっぱなしの如き異様な街なんだけど、それへの親和だって存在し得る、との映画と見た。
https://youtu.be/JotvbzDxBKI

'12年、サウジアラビアでは初の女性監督による映画「少女は自転車にのって」(原題「ワヂダ(=主人公の少女名)」)。話の運びがもっさりしているようには感じられた。サウジアラビア、(あまり何も無いそうなんだけど)一度訪れてみたいね。
https://youtu.be/6omGPcZjBZ4

国立演芸場で、三遊亭兼好2月25日以来の独演会となる「けんこう一番! 第13回」。「湯屋番」「厩火事」「お化け長屋」を独自のふくらみももたせて。毎回唸らせてくれるゲスト、この日は箏の大川義秋で「さくらさくら」「たなばたさま」「さらし風手事(フウテゴト)」。今回のではありませんが→
https://youtu.be/ZJdiEGWPimw
https://youtu.be/GCMjlU-6SJA
https://youtu.be/Sym3IZJW3Ik
https://youtu.be/vixHBjws1MA

短編画廊

ナイトホークス.jpg上の「ナイトホークス(=夜行性の人たち)」等、エドワード・ホッパー(1882-1967)の絵17枚(書中、カラーで掲載されている)のそれぞれを基にして別々の作家たちが短編物語を紡ぐ。絵の”解釈”だと、それへの賛成・反対といった気持ちが生じギスギス(?)してしまうが、このように初めから”創作”とすると、(そこに解釈も関与していようけど)どうせ勝手に書かれているものなんだから、と受け手がゆったり愉しめるのが良い。ハーパーコリンズ・ジャパン刊、原題「日光、もしくは、陰の中で」。

折り紙研究最前線 ―折り紙はどこまで進化したのか―

と題する三谷純・筑波大学大学院教授による講演の要旨(學士會会報No.943所収)内では、折り紙で曲面も作れるとか(例:ホイップクリーム→ https://youtu.be/K_nnaQgs4cY)、磁石の付いたポリ塩化ビニルの小さなシートが熱で自動的に折り畳まれ、磁場で制御できる微細なロボットが作られる(→ https://youtu.be/f0CluQiwLRg)といった事々が紹介されている。ちなみに(”最前線”でなく以前から知られていた事だが)定規とコンパスでは作図不能と証明されている角の三等分や正七角形は「折り」なら可能(角の三等分→ https://youtu.be/Fkc95zRH5cs [2点と2直線が与えられた時、第1点を第1直線に重ね、第2点を第2直線に重ねる折り方がある、との公理に基づく]、正七角形→ https://youtu.be/iuy8Qc9vzvE)。数学のみならず、医学・工学の分野でも様々な発見の可能性を有するとのこと。

発掘された日本列島/邪馬台国の実像と吉野ヶ里

江戸東京博物館・企画展「発掘された日本列島2020」。それにしても火焔型縄文土器には、いつ見ても、何を感じ考えていたんだと驚かされる。8月3日まで。できれば時間を取って常設展も見周りたい。大いに楽しめます。帰り、鶏はな。

先に訪れた吉野ヶ里公園の展示室から持ち帰ったシンポジウム「邪馬台国の実像と吉野ヶ里」資料では、畿内説の根拠の一つとして奴(ナ)国(福岡)や不弥(フミ)(飯塚)の先にあって人口が上回る地として九州内は考えにくい、と挙げ一方九州説は、戦乱状態にあったことを示すのは九州の方の環壕集落や墓だと主張する。17日に発行される「史跡名勝天然記念物保護100年」切手の一つは吉野ヶ里遺跡。
吉野ヶ里切手.jpg

アグリッピーナ

METライブビューイングの一。ヘンデル、1709年の作で、METがかけた中では最古のオペラとなるそうだ。暴君ネロの悪徳母を主人公とし、皆、墓に入っているのだが舞台は現代、という演出。息子への助言に”貧しい人々にカネを配れ”とあったけど、現に、今、おんなじような事を言うてる候補者もおる。ズボン役やカウンターテナーを起用、指揮者はチェンバロも弾き、細かく刻まれた旋律が多かった。https://youtu.be/sCstgIRFixY

圧力の高まる中、バッシャール・アサド体制は結局倒れるのか(TIME7月6・13日号より)/オマケ

シリアのバッシャール・アサドは、以前、もう考慮外だとされたことがある。何十万人もを死なせ、さらには1200万人以上を故郷から追いやった内戦のさ中、八方丸く収める唯一の道は、アサドの主たる支援者であるロシアとイランが彼に新しい住処を与え、面子を保たせて移動させることだと思われたことが幾たびかあった。彼が切り抜けられたのは、バラク・オバマ前大統領がシリアへの関与を深めたがらなかったのが一因だ。
今日、アサド政権は国土の約3分の2を支配下へと回復した。孤立し、人道破滅の徐々に進んでいる町イドリブは制圧できずにいる。トルコ軍、米国の守るクルド人、聖戦主義者たちが、政府軍の力の及ばぬ範囲にとどまっている。
アサドは、生き残れた事だけでなく、勝ち得たものは何かを考えているだろう。9年に及ぶ戦争と制裁により、シリア経済規模は戦前の3分の1となり、ここ1年はことに落ち込みが激しい。シリア人の10人に4人が職をもたず、5人に4人が貧困状態にある。国の通貨はほとんど無価値。食料や薬品といった必要物の価格は、ほとんどのシリア人の収入では手の届かぬ高さとなってしまった。
状況が悪化する中、政権支配下の少なくとも一つの町に、民衆の抗議が戻って来た。政府が隠しているため、COVID19の国中での広まりについては、信頼できる情報がほとんど無い。国連安全保障理事会は「シリアの医療体制や社会経済的・人道的状況への深刻な打撃」に対処するべく、同国への国境通過地点数を増やすことを提案している。
アサドの未来は危ないのだろうか。危険信号は点滅している。政府・軍の給与に必要なカネをひねり出すため、最近、体制側は、アサド政権との親密な関係により富を築いてきた裕福な実業家たちから資産を徴収することにした。彼らの何人かは抵抗している。その一人、億万長者資本家のラミ・マハルーフは、驚いたことに、この圧力に対して公然と戦い始めた。政府が彼の資産を凍結し社員数名を逮捕し出した時、アサドの実のいとこでもあるマハルーフは、フェイスブックに極めて異例な一連の投稿を載せ、アサドに圧力を弱めるよう求め、さもなくば”神の正義”が下されるとした。
だが、直近では、アサドを悩ませる頭痛の一番の種はトランプ政権だ。12月、トランプはシーザー・シリア市民保護法に署名し、6月半ば、アサドを支援するかも知れぬ人・組織を標的とする一群の新制裁が発動した。(”シーザー”は、アサド政権が市民を拷問にかけ殺害した事を証明する5万枚以上の写真を持ってシリアから脱出した写真家の暗号名に因む。)制裁対象と特定される中には「アサド体制の軍事行動(や石油・ガス事業)を支援するような物資、業務、技術の提供に便宜を図る」外国人、また、「再建活動に携わってシリア内戦から益を得る者」が含まれる。
アサドが弱まると考えるのは早計だ。制裁は、しばしば、打撃を与えようとした相手の体制を強くする。たとえ、モスクワやテヘランのアサド後援者たちが彼をお払い箱にするとしても、彼らは別の誰かを替りに据えて自分たちがシリア政府の決定に強く関与し続けられるようにもって行くだろう。
一方、米国による圧力は、おそらく、それが守ろうと意図したシリアの人々に、経済的苦痛をさらに負わせるだけのものとなろう。

無関係動画→ https://youtu.be/IawaJ9f2H0A

智/大倉/太田/プール

大倉は6月27日、他の三つは7月1日、嬉しい再開!

菊池寛実記念 智美術館での「菊池コレクション 継ぐ」。有田の今泉今右衛門、酒井田柿右衛門、萩の三輪龍氣生、京都の樂直入のやきものを展示。好みに合う、合わないはあるが、心洗われる。11月29日まで。https://www.musee-tomo.or.jp/exhibition/

大倉集古館での「日本絵画の隠し玉 ―大倉コレクションの意外な一面―」。”珍品?! 稀品?! もしかして名品?!”などと謳っているが、決して奇をてらった内容でなく、見所あり。26日まで。https://www.shukokan.org/exhibition/

太田記念美術館での「太田記念美術館コレクション展」。明治4~6年、東京ではウサギを飼うことが流行したそうだ。小林清親の(光線画とは趣を異にする)肉筆画も。26日まで。http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/ota-collection

近所の区立中プール、一般公開。1時間240円。(見た目は知らぬが)気分は若鮎。

水無月の独り看板

と再び銘打って、今度は東京芸術劇場シアターウエストでの林家きく麿独演会。「記憶喪失」、「だし昆布」と(自信作なのかも知れぬが)先日聞いたばかりのが続いた後、「2コ上の先輩」。いずれも面白かったが、繰り返しに耐え得るか、は新作にとっての難しいところ。作品が筋立てのみなのか、それとも、人間性を衝けているのか、が問題となる。ゲストに上の助空五郎。今回のではありませんが→ https://youtu.be/qDDJQeozbLM

残像/いちいち

アンジェイ・ワイダ監督最後の映画「残像」('16)。場所・状況は異なるが、扱われている時期は「イワン・デニーソヴィチの一日」とほぼ同じ(野菜汁も出てきてた)で、スターリンや社会主義体制の非道を見る。
https://youtu.be/4PXtYgF0hCo

道楽亭での春風亭一花・田辺いちか二人会「第十回 いちいち」。一花が「お菊の皿」「片棒」、いちかが「応挙の幽霊画」「英国密航」。両人、語り口、顔付きが堂々としてきているのが喜ばしく、今後を楽しみにさせる。

イワン・デニーソヴィチの一日

新潮文庫の一。ラーゲリ(収容所)の朝から夜まで一日分を描くことで、所内のみならずスターリンソ連社会の悲惨を総合的に、だがやたら暗くはせずに伝えるソルジェニーツィン作品。閉塞の中にも一種の充実感があり得るところは、安部公房の「砂の女」を思い起こさせた。奇しくも共に’62年刊。

古参兵の経験を、スパイクのレンズを通して(TIME6月22・29日号より)/オマケ

【当面、隔週発刊が続くようだ】
ヴィエトナム戦争は、国家によって黒人兵が戦いに動員された(しかもその国家は兵士として以外、他に黒人たちの何をも必要としなかった)最初の戦争でも最後のでもなかった。だが、この戦争は例を見ぬ憤怒を引き起こし、同時に国内ではアメリカ黒人が自分たちの基本的人権を求めて闘争していた。すなわち、黒人兵たちは、一つでなく二つの戦争を戦っていたのだ。これが、映画「ザ・ファイブ・ブラッズ(Da 5 Bloods)」を貫くスパイク・リー監督の考えの一つだ。4人のヴィエトナム帰還兵が今になってヴィエトナム内で再結集する。ここでかつて彼らは戦ったのだが、何のためだったのか、彼らには今でもはっきりしない。彼らの現在の使命は二つ:約50年前に戦死した分隊長の遺骨を持ち帰る事と、その戦死前に彼らがジャングルに隠してそのままになっている黄金を取り戻す事。
オウティス、エディー、メルヴィン、ポールはホー・チミン市のホテルに集まり、用心深く挨拶し合う。彼らの絆は強いが、やや擦り切れている。共有した経験が彼らをつなぐが、彼らの人生はそれぞれ異なる方向へ散らばっている。一番すっかり変わってしまったのはポールだ。しじゅう怒っており、PTSDに苦しむが治療を受けたことがない。そして、他の三人が驚くことに、彼はトランプ支持者なのだ。
三人はポールの政治信条に付いて行けぬが、彼がどれほど傷ついているかは理解できる。彼の息子デイヴィッドが、招かれておらぬのに一行に加わり、緊張感が生ずる。そしてポールは、皆から尊敬されていた分隊長故ノーマンとのある秘密に取り憑かれる。ノーマンは、自分の国がどうなってほしいか、その姿のために戦えと教えた。仲間と同様、ポールは黄金を得たいと夢中になっているが、彼の究極の望みは、事をはっきりさせる事と許しである。
"Da 5 Bloods"はアクション・友情映画で、これら帰還兵たちと国家 ―彼らに戦うよう求めたのに、帰還すれば扉という扉をピシャリと閉めた― との葛藤関係のドラマである。ただし、画像はぎこちなく、いくつかの劇的要素が確固とは響かない。悲劇が起こっても、人物たちがほとんど反応していないのだ。話は貨物列車のようにガタガタと線路を進み、印象は散漫である。
しかしながら、リーの映画作りに難点はあっても、彼の精神は感じ読み取ることができる。リーは決して現状に満足しようとせず、私たちにも、現状に満足するべきでないと思い起こさせる。"Da 5 Bloods"は反抗心をエネルギー源にしている。リーは心底では愛国者で、それが、彼の作品を通していつも感動させる。彼の過去とのつながり ―単に黒人の過去とのつながりでなく、黒人と白人とが共存、衝突、時には幸い協力する、苦痛に満ちた過去とのつながり― は、彼の為す事の全てを教える。彼は"Da 5 Bloods"を、マーティン・ルーサー・キングが死の前年に行なった演説の引用で閉じる。キングはラングストン・ヒューズを引き「おう、そうだ、わかりやすく言おう。アメリカは私には全くアメリカでなかった。それでも私はこう誓う。アメリカは私にもアメリカとなるであろう!」悲しく、苦しそうでさえあるが楽観で終えるこの台詞は、リーのテーマソングかも知れない。彼は、私たちが手にして然るべき未来へと突き進む。手にするであろう未来では必ずしもなく。私たちはめちゃくちゃだけど、おう、そうだ、未来でもそうなんだろう。https://youtu.be/D5RDTPfsLAI

無関係動画→ https://youtu.be/DFA2TvNWh3I